黒磯観光案内
Guide in Kuroiso

黒磯の歴史

黒磯の歴史や文化財については、意外と知られていないようです。しかしいろいろ調べてみると、どうしてどうして文化財は相当豊富で、歴史的にも重要なものが数多くあります。ここで、黒磯の歴史の主なものを列記してみましょう。

■鎌倉時代、黒磯市を含む那須野ヶ原一帯において、将軍源頼朝らによる那須野巻狩が催された。
■江戸時代、五街道の一つである奥州街道が開かれ、那珂川をはさんで鍋掛宿と越堀宿が開設された。また物資輸送路として重要な原街道・会津中街道が開かれ、東小屋・三斗小屋・板室・百村・高林などに宿場が開かれた。そしてこれらの街道に設置された一里塚がいくつも残っている。
■江戸時代、飲用水や灌漑用水を目的とし、巻川用水・長島堀・穴沢用水・山口堀といった大規模な用水が開かれた。
■江戸時代末期の有名な画家である高久靄厓(あいがい)の出身地で、その墓(遺髪)がある。
■戊辰(ぼしん)戦争の際、板室や三斗小屋でかなり大きな合戦があり、特に三斗小屋は重要な位置を占めた。
■明治前期、数百ha単位の大農場がいくつも生まれ、日本三大疏水の一つである那須疏水が開かれた。いわゆる那須野ヶ原開拓地で、那須疏水の取入口もある。
■青木農場主青木周蔵の建てた別荘は非常に素晴らしいもので、各方面から注目されている。また青木周蔵やその養父青木研蔵、その兄青木周弼(しゅうすけ)(高名な医師)の墓もある。
■明治17年、現在の国道4号線が通り、那珂川には県下有数の名橋である晩翠橋がかけられた(何度かかけ直し)。
■明治19年、東北本線が開通し、黒磯駅前は急速に発展した。
■昭和17年、那須野陸軍飛行場が開設された。
■太平洋戦争後、多くの開拓団が生まれ開拓を推進した。また那須町とならんで、全国的な酪農地帯となった。
■板室温泉や三斗小屋といった、古くからの温泉がある。

黒磯には、特に江戸時代初期から太平洋戦争後に至るまで、用水や開拓という面で極めて重要な歴史があります。とりわけ那須疏水や青木別邸は、全国的レベルのものと言えましょう。また歴史街道・高久靄厓・戊辰戦争・鉄道と黒磯駅前の発展等々、歴史的に価値の高いものが豊富にあります。
黒磯には雄大で美しい自然と共に、文化財をはじめ、歴史的なものが豊富にあります。
「温故知新」と言う言葉がありますが、身近にある文化財を訪ね、先人の歩みを学ぶことは、単なる郷愁ではなく今後の指針ともなることでしょう。